惜しまれる才能
4/16に惜しまれて彼は亡くなった。不治の病ということを知ったのは昨年の夏だった。昨年11月にいちど退院して自宅へ戻ってきた時は、奇跡があるものと思った。しかし、残念ながら、彼は力尽きた。48歳だった。
彼は同じ機械屋で、その力量は多くの人が認めるすごい人だった。自分とおなじ、機械は動くということをよく理解していた。電気、コンピュータに関する知識もすごかった。
悲しいけど、これが現実である。彼を知って、その力量を見た、自分はまだまだ精進しなくてはならない。手を抜くと、彼が見ていて笑われるような気がする。